いよいよ、ロンドン・オリンピックの開幕が、2週間後に迫ってきましたね。
格闘技マニアの私には、特に、レスリング・柔道の2大競技は欠かせません。
その中でも、最初にオリンピックの存在を意識したのは、この方のおかげ。
1984年 ロサンゼルス五輪・レスリング・フリースタイル・57kg級・金メダリスト 富山英明 先生です。
私が生まれ育った江古田駅(東京都練馬区)は、日本大学レスリング部・合宿所の お膝元。
父が、地元の電気屋さんとして、合宿所に出入りしていたので、関係者の方とも知り合う機会ができました。
富山先生と、初めて お話したのは、1980年のモスクワ五輪の頃、金メダル間違い無しと言われながら、その後、日本はボイコットになってしまったんですね。
柔道の山下泰裕さんや、同じレスリングの高田裕司さんの涙の訴えは、今も記憶に新しいです。
余談ですが、ボイコット決定後、日大のコーチをされていた方から「彼も金メダル狙えたんだけど、アマは引退して、プロになるんだよ。」と教えて頂いた方は、”凄いヤツになってやる!”で、プロレスファンにはおなじみの谷津嘉章さんでした。
その直後、新日本プロレスに入門されました。
さて、全世界的には競技人口が多いレスリングで、4年間もトップの力を維持し続ける事は非常に難しい事ですが、富山先生は、ロス五輪まで戦い続け、見事に金メダルを獲得されました。
優勝した後、福田富昭 現・レスリング協会会長に肩車され、マットを1周するシーンは感動的でした。
さらに4年後のソウル五輪では、コーチとなった富山先生は、教え子の小林孝至さんを金メダリストに育て、同じ様に肩車でマットを1周したのです。
ちなみに、小林さんは、「上野の電話ボックスで金メダルを置き忘れちゃってたいへんだったよ」事件でも有名で、後に、PRIDEのジャッジを務めた方です。
また、この肩車をするという行為は、今でも、レスリング界で、アニマル浜口・京子さん親子に引き継がれて(?)います。
そして、柔道の石井慧さんを始め、最近、メダリストがメダルをかじるポーズで、写真に写る事が多々ありますが、これも、富山先生が自叙伝の表紙(1番上の写真)でやったのが元祖と言われているんですね。
最後に、私だけが知る 富山先生の名言を大公開。
まだ、格闘技の「か」の字も知らない アホガキだった私が、ちょっと知ったかぶりして聞いた質問と、その答えです。
横田「ベログラゾフ(当時の富山先生のライバルだった旧・ソ連の選手)って、そんなに強いんですか?」
富山先生「俺に勝つくらいだから、強いんじゃない。」
今、考えると、赤面ものですが、世界の一流の言葉にシビれましたね。
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